エピソードは以下のとおりです。10年近く前、ある幼児さんのお父さまへ、「絵本の読み聞かせ」をお勧めしたことがあります。そのお父さまは、真顔で次のように質問をされました。
「家で、よくビデオで幼児向けの物語を視聴させています。本人もとても好んで、よく見ています。なぜ、ビデオ視聴でなくて、親自身が読んで聞かせることが良いのでしょうか?何が違うのですか?」とおっしゃられました。
急に思いもかけない質問でしたので、私はとまどいながら、とっさに「読み聞かせは、毎回、微妙な違いが出来るのがよいと思われる」と答えたように記憶しています。お父さまは、真面目に、うなずきながら聞いておられました。その表情からは、「お父さまは、リアルな読み聞かせと録画や録音との差異について、本当に何も感じておられなかったのだろう。」と、私は感じました。
たとえ同じ絵本を繰り返し読んだとしても、生身の人間による読み聞かせでは、必ずその都度、声のトーン、速さ、間合いなど、「微妙な違い」が生じます。また、目の前の聞き手である、お子さんの状況、表情などに応じて、意図的に声を使い分けたり、間を長くしたり短くすることも出来ます。そうなると、絵本を読む行為は、お子さんとのコミュニケーションになりうるでしょう。毎回、同じ画像を見聞きするよりも、微妙な違いに触れ、それを感受し楽しむ機会を、お子さんに提供することになります。
私は漠然とコミュニケーションの視点から、そう思いました。
今の研究からは、もっと合理的な理由が分かっているのかもしれません。そういえば、ちょうど最近、別の機会で、「自然に触れることのよさ」について、「規則的、画一的なものよりも不規則な方が、よりリラックスできるらしい」という話を伺う機会もありました。
これも「ちょうどよい間合いの誤差」の1つと、いえるでしょう。
上記は、数年前に幼児さんを育てておられた親御さんとのやりとりです。今は、ひょっとすると、リアルをそんなに必要と感じずに、過ごしておられる養育者の方が、より増えているかもしれません。
そうであれば、自分たちが行っている実践の根拠を持っておくことは、重要になってきます。
デジタルメディアは、今の世の中では、すでに浸透している便利なツールです。日常生活上での恩恵は沢山あります。しかし、乳幼児期のお子さんの使用は、より慎重に考える必要があります。人間はより多く繰り返した事を身に着けていきます。特に乳幼児期はそうです。
さあ、何を選択し、どのように繰り返していきますか。